化学の歴史を形作ってきた個性的な面々
薬剤師は化学の専門家である。「化学の面白い本を教えてほしい」と言われたとき、『世界史は化学でできている――絶対に面白い化学入門』(左巻健男著、ダイヤモンド社)を薦めるというのは、どうだろうか。化学の歴史を形作ってきた面々がいずれも個性的なので、楽しく読める。
『世界史は化学でできている――絶対に面白い化学入門』
(左巻健男著、ダイヤモンド社)
原子論と快楽主義
古代ギリシャの哲学者エピクロス(紀元前341~紀元前270年)は、35歳の時、アテネに「エピクロスの園」という学園を開いたが、そこは女性、子供、奴隷にも門戸が開かれていた。彼は、デモクリトスに学んだ原子論に基づき、「快楽が人生の目的である」と、快楽主義を説いた。その快楽とは、放蕩や享楽などの快楽ではなく、心の平安、身体に苦痛のないこと、魂に動揺がないことを意味している。エピクロスは、神の存在を否定し、「死とは私たちの体や魂をつくっている原子の解体である。私が存在するときには、死は存在せず、死が存在するときには、私はもはや存在しない」と述べている。私事に亘るが、このエピクロスの言葉を知った瞬間、若い時分から悩まされてきた死の恐怖から解放されたのである。
分子の実在
スイス特許局の技官アルベルト・アインシュタイン(1879~1955年)は、1905年、26歳の時に3つの革命的な論文――「光量子仮説と光電効果」、「ブラウン運動の理論」、「特殊相対性理論」――を発表した。水の分子が運動するという彼のブラウン運動の理論と、ジャン・ペラン(1870~1942年)の実験結果により、長年、化学の大問題であった「原子・分子は実在するのか」論争に終止符が打たれたのである。
染料メーカーと製薬
染料メーカーのバイエルの若い化学者フェリックス・ホフマン(1868~1946年)は、1897年の夏、ヤナギの樹皮から分離されるサリチル酸にアセチル基をくっつけてアセチルサリチル酸をつくった。バイエルは、1899年、この粉末を小さな包みに入れて、アスピリンとして販売した。アスピリンの人気が高まったため、従来の方法では需要を満たすことができなくなり、フェノールからの合成法に切り替えた。
感染症とサルファ剤
巨大化学企業連合体IGファルベンの若い医師ゲルハルト・ドーマク(1895~1964年)は、1932年の秋、真っ赤なアゾ染料プロントジルが著しく溶連菌感染に効果を発揮することを発見した。プロントジルを投与された感染マウスは元気を取り戻したのだ。ドーマクは、軽い刺し傷からレンサ球菌に感染して絶望的な状態になっていた自分の娘にプロントジルを投与することを決断する。まだ試験中の染料を娘に飲ませたのだ――結果、彼女は急速に、そして完全に回復した。プロントジルが体内で分解して生じるスルファニルアミドが抗菌活性を示したのである。サルファ剤の誕生である。
耐性菌の出現
多くの抗生物質が見つかったことで、人類は感染症を克服できたと安心したのも束の間、細菌は素早く逆襲を開始した。抗生物質の効かない耐性菌が出現してきたのだ。耐性菌の中で、院内感染などで現在最も問題になっているのがメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)だ。メチシリンは耐性菌に強い抗生物質として登場したが、これさえも効かない黄色ブドウ球菌がMRSAである。抗生物質バンコマイシンは1956年に使われ始め、40年以上も耐性菌が現れず、MRSAに対する切り札だった。ところが20世紀末にバンコマイシン耐性菌が出現し、現在、最後の砦となっているのは、2000年に発売されたリネゾリドだ。しかし、海外ではリネゾリド耐性のMRSAが散見されている。病原細菌と人類との闘いは、果てしなく続くのである。
本書によって人々の化学に対する理解が深まり、化学の専門家に対して親しみが増すことに繋がれば、嬉しいのだが。