在宅医療の現場でしか味わえない感動を知った─病院薬剤師からの転身【在宅体験記Vol.5】
在宅医療の現場で働く薬剤師による「はじめての在宅体験記」。第5回は、患者さんの「家に帰りたい」という思いを叶えるため、当時ほとんど環境が整っていなかった在宅領域へ飛び込んだ原敦子さんにお話をうかがいました。在宅6年目のベテランの目標とは。
在宅医療体験の連載もひと区切りとなる第5回。今回はきらり薬局 名島店の原敦子さんにインタビューしました。原さんは総合病院に勤めていたときに緩和ケアに興味を抱きましたが、まだ在宅医療の認知が進んでいない時代でした。彼女は「そんな在宅医療の環境を変えたい」と一念発起し、転職を決めました。その思い、これからの目標をうかがいます。
在宅領域へ転身した2013年、緩和ケアの患者さんは数えるほどだった
原さんが薬剤師を目指したキッカケを教えてください。
原なにかしらの資格を取得したかったんです。薬剤師の資格があれば、日本全国どこでも働くことができると思っていました。また、実家が会社を経営していたので、薬剤師だと勤めるだけでなく、薬局経営にも関わることもできると考えていました。
その後、在宅医療に進まれた理由はありましたか?
原私は、総合病院に勤めていたときに「緩和薬物療法認定薬剤師」を取得しました。病院で多くの緩和ケアを必要とする患者さんと接しましたが、患者さんの「家に帰りたい」という願いをほとんど叶えてあげることができませんでした。
当時、緩和ケアが必要な患者さんを在宅でフォローできる薬局が少なかったのも一因です。それなら「自ら在宅医療に携わり、環境を整えたい!」と一念発起して、福岡で先進的に在宅に取り組んでいた現在の薬局に転職しました。
転職したのはいつごろですか?
原2013年9月です。その時は、在宅で緩和ケアをうける患者さんは数えるほどしかいませんでした。しかし、「在宅医療が知られておらず、患者さんに利用されていない状況を私が変える」と意気込んで取り組みました。
在宅でしか味わえない感動―病院とは違う多職種連携
現在の在宅医療のスケジュールを教えてください。
原週5日勤務で1日5時間ほど在宅に従事しています。午前中は処方監査やメールチェック。午後に在宅訪問、薬局に戻った後は、薬歴と報告書の作成にあてています。夕方、臨時処方で再び患者さん宅を訪問することもあります。
帰る前に、管理者業務、訪問スケジュールの確認なども行います。
施設、個人宅を含め100名ほどの患者さんを担当しています。
主な担当患者さん
80代女性 | 心不全 旦那様と同居 |
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30代女性 | 脳塞栓症 息子様と同居 |
60代男性 | 脳梗塞後遺症(麻痺) 奥様と同居 |
90代女性 | 糖尿病、不整脈 娘様と同居 |
60代女性 | 大腸ガン末期 旦那様と同居 |
在宅の仕事は、原さんの思った通りの内容でしたか?
原病院のときは、ひとつ屋根の下に、医師・看護師などの医療職種が集まっているので情報共有が取りやすかったです。そのときは、在宅の薬局だと、職種により事業所がバラバラなので連携を取るのが難しいと考えていました。また、ご自宅で療養する患者さんは、満足度が高いだろうと思っていました。
実際に在宅医療を薬局で経験してみると違いました。多職種と連携を取る難しさはもちろんありますが、職種を越えて協力し合うことに感動すら覚えます。
一方で、患者さんの住環境は想像とは違いました。病院は無条件で清潔ですが、在宅訪問をすると衛生的に劣悪な状況下で暮らしている人がたくさんいます。患者さんに薬を服用してもらうことよりも、優先すべき課題が多いんです。これは、病院勤務時代は考えたことない問題で、それこそ「医療」と「介護」の違いだと思います。
原さんのある日のスケジュール
9:00 | 出勤 |
---|---|
9:00〜11:00 | 管理者業務:メールチェックなど |
11:00〜13:00 | 処方監査 |
13:00〜14:00 | 昼休憩 |
14:00〜16:00 | 在宅訪問(施設、個人宅) |
16:00〜17:00 | 薬歴・報告書作成 |
17:00〜18:00 | 時処方による訪問対応 |
18:00〜19:00 | 管理者業務:訪問スケジュール確認など |
19:00 | 退勤 |
原さんがはじめて患者さんを訪問したときはどうでしたか?
原はじめて訪問した患者さんは90歳ぐらいの独居女性で定期訪問でした。カレンダーセットをしながら、患者さんとお話をしましたね。
その患者さんは足が不自由な方で、玄関の鍵を開け閉めすることができず、玄関の鍵は、入口横のメーターボックスに隠されていました。暗証番号を入れて鍵を取り出し、玄関を開けて中に入りました。帰りはその逆です。
鍵の管理まで、在宅を支援するメンバーで決まりごとを作っていることに驚き、多職種の連携がいかに大事かを感じたはじめての訪問でした。
多職種連携は医療だけじゃない―最期に叶えられた患者さんの好きなこと
多職種連携は現場でも大事だと思います。現在はどのような職種と関わっていますか?
原担当医師、訪問看護師、医療機関の看護師、ケアマネジャーですね。薬の処方意図が不明なときや、薬が飲めていないなどの理由で処方の見直しが必要と感じたとき、薬効説明を変えたときに連絡をとります。例えば、認知症の患者さんに、「元気が出る薬」と説明したりします。
薬以外にも患者さんの今までの状況を聞く場合や、患者さん本人、ご家族と連絡が取れないときにも助けてもらいますね。
多職種との関わりで、印象に残っているエピソードはありますか?
原薬剤師という職種を越えて、患者さんに関われた事例が印象深いですね。
患者さんは、肝臓がん末期で、余命数日から1週間と診断されていました。ご本人はお風呂に入るのが好きでしたが、体調を悪くされてからはご自宅で入ることができず清拭ばかりです。ご家族の希望もあり、訪問看護師さんと一緒にケアマネジャーさんへ訪問入浴サービスを利用できないかを相談してみました。
担当者会議が開かれ、医師からも許可が出て、その日のうちに訪問入浴のサービスを受けることができました。患者さんはとても喜んでいました。
残念ながら入浴から2日後にご逝去され、訪問入浴は1度きりの利用でしたが、ずっと介護をしてきたダンナさんは「最後の望みを叶えてあげられた」と満足していたようです。
在宅領域のベテランが感じる、在宅のやりがいとは
在宅の現場で薬剤師に求められていることはなんでしょうか?
原まずはプロとしての仕事ですね。薬を理解してもらい服用してもらうこと。患者さんに薬を渡して説明するだけではダメです。それを実行する上で、人に頼ったり、人にお願いしたり、人とつながるためのコミュニケーション力が必要になってきます。社会人として基本的なことですが「あいさつ、約束を守る、言い訳しない」という3つが必須だと思います。
原さんにとって、在宅医療のやりがいはなんでしょう?
原患者さんの生活に自然に入り込んで行くところが私にとってのやりがいです。正直目を伏せたくなるようなこともありますが、人生の先輩の話を聞けるのはとても有意義に感じます。この仕事をしていないと、なかなか大きな病気や死に直面するようなことはありません。それを見たとき不謹慎かもしれませんが「大きなショックがあると人はこのように感じるんだ」と考えさせられます。
在宅医療をしていると薬剤師と患者というよりは、人と人とのつながりが深くなります。患者さんは、本当は見せたくない姿を私たちに見せてくれるので、自分も自然とうわべだけでなく自然体で付き合うようになります。
原さんは現場経験が豊富なベテランだと思います。そんな原さんが在宅医療で辛い、難しいと思うことはありますか?
原いろんな工夫をしてもお薬を飲んでもらえないときですね。患者さんから「いつ死んでもいいから飲む必要がない」と言われるとどうしていいかわかりません。
健康的に過ごすのも、病気が悪化するのも、その人の人生なので口出しができなくなるんですね。ただ、体調が悪いときは正常な判断ができないのも人間です。それをわかった上で、投薬するかどうかの線引きは難しいと感じます。
在宅医療の業務自体は辛いと感じる点はありません。上記のように「患者さんが納得いくケアを受けられていない」ときが辛いです。あくまでも在宅はサービス業です。患者さんに満足してもらわないとお金をいただけないと思ってしまいます。
今後、在宅医療に携わっていきたいと考える薬剤師にアドバイスをお願いします。
原患者さんの人生経験は図書館の本のようです。自分が経験していないことを教えてくれます。現場ではうまくやろうとするよりも、患者さんから教えてもらうという気持ちで在宅医療に臨んでほしいです。あとはいろいろ考えるよりまず行動です!とりあえず現場に行く、患者さんの話を聞くことが大事ですね。
最後に原さん自身はどのように取り組んでいきたいですか?
原私は、現状、緩和薬物療法認定薬剤師の資格もありますし、現場の管理者もしています。目標としては、在宅に関わる薬剤師を増やしていきたいです。私自身の薬剤師としてのスキルを伸ばすことより、後輩のスキルを伸ばすことに興味があります。みなさんも一緒に在宅医療の環境を整えていきましょう。
インタビューを終えて
現場経験も多く積んでいる原さんからは、話す言葉の重みを感じました。今後は後輩薬剤師の育成にも力を入れていくとのことで、将来の在宅医療の発展に期待したいです。
原 敦子40歳
きらり薬局 名島店勤務(2013年9月入社)
総合病院勤務時代に「緩和薬物療法認定薬剤師」の資格を取得。緩和ケアを必要とする患者に接するうちに、「在宅医療の環境を整えたい」と2013年に転職。現在は後輩の育成にも力を入れている。