「高熱が変えた私の人生」 ―抗インフルエンザ薬があの時代にあったら…
「M3メンバーズメディア」では医師会員から寄せられた記事の一部をご紹介します。今回は大学受験・国家試験にまつわる「受験の思い出」がテーマです。薬剤師の先生方も皆さんが通った、夢への道。合格発表の季節には毎年懐かしく想い返される方もいらっしゃることでしょう。悲喜こもごものエピソードを全4回でお届けします。普段とは違うドクターの素顔が垣間見られるかもしれません。
「M3メンバーズメディア」では医師会員から寄せられた記事の一部をご紹介します。今回は大学受験・国家試験にまつわる「受験の思い出」がテーマです。薬剤師の先生方も皆さんが通った、夢への道。合格発表の季節には毎年懐かしく想い返される方もいらっしゃることでしょう。悲喜こもごものエピソードを全4回でお届けします。普段とは違うドクターの素顔が垣間見られるかもしれません。
受験日1週間前、突如襲った39℃の高熱
旧帝大医学部を目指して受験勉強をしていた高3の私を突如襲った、39℃の高熱。
受験日の1週間前だった。
担任からは80%の合格保証をもらっていたが、気を抜かずに勉強していた矢先であったので大急ぎで近所の開業医さんへ。
センター試験もなく、国立1期、2期の2校受験できる大昔なので、インフルエンザ迅速検査なんかもちろんなく、「風邪ですね」。
解熱剤と抗菌薬の2本を筋注し(当時の標準治療)、自宅安静へ。熱は全然下がらず、3日ほど筋注に通院。「インフルエンザと思われるから、とにかく安静に」と勉強も出来ずにひたすら寝ていたが、4日間は38℃以上を維持して5日目にようやく解熱。
床上げしたが、長期間臥床でふらふらしており、参考書を開いても全く内容が頭に入らない。
受験日当日、「まあ、今までの貯金で頑張れば大丈夫」と自分に言い聞かせた。解熱しても母の方針で入浴は禁じられていたので、汚い体とテカテカ頭で出発。
仲のよい5人の同級生も受験学部は違うが同じ大学を目指していたので、駅で待ち合わせて受験会場へ。歩いている途中にしゃれた喫茶店があり、「合格発表は各自で見に行って、合格していたらここに集まろう」と約束した。
1日目の苦手の数学は何とかなったが、2日目の得意の世界史が過去問からガラッと変わり、穴埋めでなく論述式になっていた。
抗インフルエンザ薬があの時代にあったら…
落ちた。
合格発表日は約束の喫茶店の前を避けて駅に行き、一人寂しく帰宅した。
後で知ったが、仲間は皆、合格していた。
志望校に入れず浪人を覚悟していたので、一か月後の2期校の試験は遠足気分で電車に乗って、試験も気楽に臨んだので手応えもあり、予想通り合格した。自分は2期校に合格しても、浪人して希望校を目指そうと決意していたが、合格電報を見た父が小躍りして喜んでいるのを見て何も言い出せず、入学手続きを取った。
後日、大学事務局から新入生代表挨拶の依頼があり、入試の点数が1番だったことを知った。
浪人しても合格する保証はないし、入学してよかったと今では思っているが、反動からか、学生時代は部活ばかりしていた。そのつけが回ったのか、皮肉にも今は志望校が支配する大学で働いている。
もし、抗インフルエンザ薬があの時代に既にあったら、違う人生だったのかなと思うと、少し悔しいかな。