「送り火」―末期癌の患者さんからの贈り物―
「M3メンバーズメディア」では医師会員から寄せられた記事の一部をご紹介します。今回からシリーズとして、「心に残る症例」をテーマにエピソードをご紹介したいと思います。薬剤師の先生方も、いつまでも印象に残る症例、患者さんとの想い出があるかと思います。中には仕事の在り方を考えさせられるかもしれないエピソードもあるかもしれません。日々のお仕事にプラスの変化となるような、「気づき」を感じてもらえたら幸いです。
M3メンバーズメディア」では医師会員から寄せられた記事の一部をご紹介します。今回からシリーズとして、「心に残る症例」をテーマにエピソードをご紹介したいと思います。薬剤師の先生方も、いつまでも印象に残る症例、患者さんとの想い出があるかと思います。中には仕事の在り方を考えさせられるかもしれないエピソードもあるかもしれません。日々のお仕事にプラスの変化となるような、「気づき」を感じてもらえたら幸いです。
「送り火」
私が研修医のころ、末期癌のT氏の担当医となりました。当時は、今のような研修システムではなく、各科の医局に入局し、奴隷のようにこき使われ、今の研修システムでは考えられないような、怒られ方をしても、「自分が未熟のため・・・」と思い、こらえて、黙々と仕事をしていました。さらに私は、仕事の覚えが悪く、夜2時、3時まで仕事をしていました。
自慢の一眼レフカメラ
T氏は、頑固で、わがままな方で、看護師さんたちは、T氏の対応に困っていました。T氏の対応は、研修医の私が担当になっていました。癌末期のため、T氏はあちこちを痛がり、そのたびに、「さすってくれ」と看護師さんを呼び、そのたびに、私がT氏の病室へ行き、T氏が痛がるところをさすっていました。
さすっている間、T氏は、身の上話や、ご自慢の一眼レフカメラを見せて、写真の話をよくされていました。T氏の病室は、五山の送り火がよく見える部屋で、T氏は「送り火を、このカメラで撮りたいな~」とおっしゃっていました。癌末期のため、T氏は、五山の送り火の1ケ月前に、ホスピスに転院することとなりました。
T氏の転院前日、私は、いつものように夜中2時まで仕事して帰ったとき、病院から連絡があり、「Tさんが、先生に、肩をさすってほしい。先生に話したいことがあると言っています。」とのこと。病院にもどり、T氏の肩をさすると、T氏が「先生は、まだ研修医だが、今まであった医者の中で、一番いい先生だった。
明日朝早くに転院だから、先生にお礼が言いそびれたら・・・と思うと寝れなくて・・夜遅くに呼び出して、申し訳ない。俺は長くないだろうから、この一眼レフカメラを受け取ってほしい。これで送り火を撮影してほしい」とおっしゃりましたが、丁重にお断りしました。
転院の日、T氏を見送りにいきました。T氏は搬送車の窓から、手を振りながら、何度も何度も「ありがとう。先生は最高の先生や。そのまま、いい先生になってな~」とおっしゃりました。
五山の送り火
数日後、T氏の家族が病院に来られ、T氏が亡くなったことを知らせてくれました。T氏の家族は、T氏ご自慢の一眼レフカメラを私に受け取ってほしいと言われ、私は思い直していただくことにしたのでした。そして五山の送り火の日、私はT氏の一眼レフカメラを手に、T氏なら、こう撮影するかな?と思いながら送り火を撮りました。
「私はT氏の望んだとおりのいい医者になれたのだろうか?」
カメラを手にする人々の向こうに燃える送り火を見るたびに、私はT氏のことを思い出しながらふとそんなことを考えるのです。