「25年越しの告白」―強迫性障害の患者さんからかかってきた突然の電話―
「M3メンバーズメディア」では医師会員から寄せられた記事の一部をご紹介します。今回からシリーズとして、「心に残る症例」をテーマにエピソードをご紹介したいと思います。薬剤師の先生方も、いつまでも印象に残る症例、患者さんとの想い出があるかと思います。中には仕事の在り方を考えさせられるかもしれないエピソードもあるかもしれません。日々のお仕事にプラスの変化となるような、「気づき」を感じてもらえたら幸いです。
M3メンバーズメディア」では医師会員から寄せられた記事の一部をご紹介します。今回からシリーズとして、「心に残る症例」をテーマにエピソードをご紹介したいと思います。薬剤師の先生方も、いつまでも印象に残る症例、患者さんとの想い出があるかと思います。中には仕事の在り方を考えさせられるかもしれないエピソードもあるかもしれません。日々のお仕事にプラスの変化となるような、「気づき」を感じてもらえたら幸いです。
ある日、勤務先の病院に思いがけない電話がかかってきた。
「24、5年前にお世話になったお礼が言いたい。遠方にいるためなかなかお礼が言えないので、都合のいい時間を教えてもらいたい。」私が不在だったので、職員が、伝言しておきますと対応した。
―強迫性障害の患者さん
厄介な電話である。本当にお礼なのか、お礼参りなのか?と疑問だった。名前を聞くと当時10代の少年だったことをすぐ思い出した。重症の強迫性障害で、制縛状態となり、周りが汚いと感じるため、一切の何ものに触れることができず、手も足も動かせなくなり、寝たきり状態になって、入院治療を担当した症例だった。
年齢より幼い印象で、色白で生気に欠け、終始無言、内的体験の聴取は困難で疎通性不良だった。治療中断か転勤により主治医を降りて関わりが途切れた症例だった。
年齢は40代前半か、分別のある丁寧な口調であったとのことだったので、精神病理が進行しているようには思えなかった。休憩時間なら電話を繋いでもらうように事務にお願いしておいた。
1週間して再び電話があり、少し低い控えめな口調の彼が電話の向こうにいた。簡単な挨拶をして、「どうしたの?」と問いかけると、堰を切って語り始めた。
―25年越しの告白
「今は県外に在住している。高校は通信制に進み、30歳で大検をとり短大に進んだ。契約社員として働いている。病名は当時強迫神経症だったと思うが、本当はPTSDだと思う。中学で苛められ、学校をやめるのが最善方法だった。苛めがあっても両親は教育委員会に訴える事もせず、助けてくれなかった。塾にも無理やり行かされた。
手を洗う癖があった。それは祖父が握手をする癖があり、釣りが好きだったので魚とかいろんな臭いが移るので、祖父が触れた後は、手を洗っていた。それが次第にやめられなくなった。
今思うと、父からの虐待だった。父には暴力癖があった。折檻された。大きな冷蔵庫に入れられたり、暖簾で叩かれたり…父が治療を受けなければいけなかった。父に問題があったと思う。
10年前から、これに気づいて、先生の診療を受けたかった。母は父のことが好きだったので、離婚するとか言ったこともあったが、それはなく今も一緒にいる。父とはここ数年会っていない。
それから病院を脱走して先生に迷惑かけたことを謝りたい。本当に申し訳ないことをした…。話してすっきりしました。時間をとってすみません。」
何も聞かずただ傾聴した。離院のことは私は失念していた。当時彼は何も話さないのではなく、話せなかったのだった。家族から守られず、大人を信用できなかったのだろう。
凄惨な人生を耐え忍び、大人になって、その歩みを語る相手として、私を選んでくれたことを嬉しく思った。私は何もしてあげられなかったのに。
―彼へのエール
彼自身が自分の置かれた状況を理解してから告白するのにも10年という時間が必要だった。彼には意志の強さと資源(resources)が備わっていた。人の無限の可能性を信じ、希望を持ち、待つということは精神科医として本当に大切なことだと教えられた思いがした。
最後に彼のこれまでの頑張りを褒め、彼の未来にエールを送り電話を置いた。