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薬剤師マイスタイル

更新日: 2020年7月1日 薬剤師コラム編集部

原点は「マザーテレサの家」。アフリカの医療課題にデータで挑む薬剤師

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働き方の多様化が進む現代。しかし、薬剤師においては、薬局・病院で働く人がほとんどであり、多様性に富んでいるとは言えないのが現状です。そこで当シリーズでは、薬剤師のスキルを生かしながら、「自分のやりたいこと、すきなこと」を通じて医療に貢献している薬剤師をご紹介。「マイスタイル」をつらぬく薬剤師の魅力をお伝えしていきます。

「マザーテレサの家」での体験が、国際協力にかける情熱の始まり

製薬会社のMRとして勤務するかたわら、アフリカで配置薬普及を目指すNPO法人AfriMedico(アフリメディコ)の代表理事を務める町井恵理さん。「医療を通じて、アフリカと日本をつなぎ、健康と笑顔を届ける」という理念のもと、精力的に活動をされています。そんな町井さんが国際協力に目覚めたきっかけは、薬学生の時に訪れたインドの「マザーテレサの家」での体験にありました。現在も医療体制の整っていないアフリカの奥地で活動を続ける町井さんへ、国際協力への情熱と今後のビジョンについてお聞きしました。

お話を伺った方(プロフィール)

町井恵理さんの画像

町井恵理さん

薬剤師。大学卒業後に製薬会社に勤務。2008年より2年間、青年海外協力隊としてアフリカのニジェール共和国で感染症対策のボランティア活動に従事。その経験を通じて、アフリカの医療問題を根本から改善するために、グロービス経営大学院へ進学。日本とアフリカを繋ぐビジネスを実現するために2015年にNPO法人AfriMedico(アフリメディコ)を設立。

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国際協力に興味をもったきっかけ何ですか?

大学時代にインドのコルカタを訪れた際、「マザーテレサの家」のボランティアに飛び入り参加したことがきっかけです。「マザーテレサの家」とは、貧困者や孤児、患者の支援施設の総称。死に瀕し治療の見込みのない人たちを看取る「死を待つ家」や、軽度の障害を持つ子どもたちのいる「孤児の家」などの5つの施設に分かれています。
私は「孤児の家」で孤児のおむつを変えたり、食事を与えたりといった身の回りのお世話をしました。

「孤児の家」でのどのような体験が、国際協力への情熱を灯したのでしょうか?

日本のように経済的に豊かな国からインドへ行くと、どこか上から目線で「助けてあげよう」となりがちです。私もマザーテレサの家を訪れる前は、そのような驕りがどこかにありました。「孤児の家」で私は孤児の身の回りのお世話しかできませんでした。もっといろいろやってあげたいという気持ちがどんなにあっても、実際はとてつもなく無力です。そんな葛藤を抱えつつ、孤児に対して「声をかける」「背中を摩る」といった「自分にもやってあげられること」を続けていました。するとある時、「自分は彼らに与えようとしていたけど、実は彼らからたくさんのものを与えられている」ことに気づいたのです。それは自分の考えを見直す2つの気づきです。
一つめは、「貧富の差があっても人間の本質は変わらない」ということ。「ごはんを食べて、眠る」この原理原則はみんな一緒。経済的に貧しい地域だろうと、豊かな国だろうと、本質的な人の営みはそんなに変わらないんだな、と知りました。
もう一つは「専門的な知識がなくても人の役に立てる」ということ。「私は専門的な知識がなければ人の役に立てない」とずっと思い込んでいました。しかし、当時まだ薬学生で、特別な資格や専門性を持っていない自分でも、目の前の人に対して何か役立てるんだと実感したのです。そこから国際協力への情熱が芽生えました。孤児の家を訪れなければ得られなかった貴重な経験として、今も私のなかにずっと残り続けているものです。

無力感を覚えた青年海外協力隊での二年間

日本に帰国したあとは、どのような活動をされたのですか?

帰国後も、国際協力への情熱は消えませんでした。ただ、感情が先走って「お節介」のようなボランティア活動はしたくないと思い、どのように活動したらいいかしばらく悩んでいました。周囲のすすめもあり、社会人として教養と経験を積んでからでも遅くないと考え、外資系の製薬会社にMRとして入社しました。

いったん熱い思いを胸に閉まって就職されるわけですね。

はい。当初、「3年間は働こう」と思って就職したのですが、やってみると製薬会社での仕事はとても面白くやりがいがありましたね。短期のボランティア活動も並行していましたが、短期だと本当に役立っているのか振り返ることができないというジレンマを感じました。 その後、青年海外協力隊にも応募しましたが落選。このまま日本で安定した職に就いて働いていた方がいいのか?自分に国際協力は向いていないのか?と自問自答を繰り返す日々が続きました。結局、退職を決意したのは入社から6年が経ったタイミングでした。

どのようなきっかけで退職の決意をされたのですか?

「やっぱり私はボランティアをやりたい!」と、青年海外協力隊に再応募し、合格したことがきっかけです。
両親の反対を押し切り、自分の道を歩き出した瞬間ですね。27才でした。
保健省に配属され、赴任先として選ばれたのは、世界でも極めて貧しい国のひとつニジェール共和国でした。マラリアやエイズなどの感染症対策について正しく理解してもらうための啓発活動を行う医療ボランティアとして2年間赴任しました。

ニジェール共和国では、どのようなご活動をされたのでしょうか?

現地での活動は、マラリアをはじめとした感染症に関する知識の普及です。私の担当は6つの村でしたが、当時のニジェール共和国の識字率はおよそ17%。感染症に関する講習会を開こうとしても、文字が読めなければ資料を配布しても意味がありません。そのため、絵や記号を使って紙芝居をつくったり、ラジオ番組とコラボしたりと、さまざまな工夫を凝らしてマラリアの感染知識が現地の人々へ普及するよう務めました。
この二年間は、自分では最大限に頑張ったと言えます。ようやく念願叶ってボランティア活動に専念できたこともあり、精神的にも充実していました。ただ、自分の能力の限界も同時に感じました。

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自分の能力の限界とは?

たとえば、マラリアの予防対策は、蚊に刺されないように蚊帳を吊るして使うことです。
地道な啓蒙活動によって、こうした正しい知識を持つ人の割合を、20%から80%にまで引き上げることはできました。しかし、現地の人へ「マラリアにならないために蚊帳で寝ましたか?」とアンケートをとると、「はい」という回答は35%まで落ちてしまう。二年間で感染症予防の知識を普及させることに成功しましたが、行動を変えることができなかったのです。期待通りの結果を残せなかった自分にひどく無力感を感じました。

江戸時代からの伝統「置き薬」の仕組みをアフリカへ

2年間のニジェール共和国での感染症の啓蒙活動を終え、ご本人としては消化不良のまま帰国されるわけですね。

はい。この二年間の経験によって現地の人々の行動を根本から変えるには、もっと持続可能な活動が必要であると強く感じました。ボランティアのような期間の限られた一過性のものではなく、もっと仕組みとして変えていかなくては、未開の地に医療基盤を構築することはできないと。
そして、自分に欠けていた「持続可能な仕組みと組織を作り、運営するマネジメント力」を学ぶにはMBA(経営学修士)の修得が近道ではないかと考えました。そこで、ビジネスとマネジメントを学ぶために、働きながら通える大学院に進学しました。
大学院では、「アフリカの医療を改善するにはどんなビジネスモデルがいいのか?」というテーマで半年程、研究しました。これまで「アフリカと日本を医療でつなぎたい」という漠然とした思いはあったのですが、具体的にどのようにしたらいいのか言語化できていませんでした。100以上のビジネスモデルを研究する中で、最終的に行きついたのが「置き薬」のビジネスモデルです。

「置き薬」は富山が有名ですよね。

はい。置き薬は、約300年前に富山で発祥しました。各家庭に薬箱を無料で預け、利用した分の代金を後から回収する、江戸時代から続く伝統的な“先用後利”の販売手法です。
昔は、お金が決まった日にちに定期的に入るわけではなかったので、後払いできる先用後利が有用だったのです。また、「懸場帳」にどれくらいの薬をいつ使ったかを記録するため、家庭ごとのお薬手帳のような役目を果たします。

なぜ、置き薬のビジネスモデルがアフリカで有効だと考えたのでしょうか。

かつての日本と、いまのアフリカの間に共通項が見出せたのです。それは、「インフラが未整備なので、病院までのアクセスが大変」「大家族なので、医薬品の需要が常にある」「皆保険制度がないため、医療費の負担が高くつく」の3点です。

このビジネスモデルでアフリカの医療が届いていない地域にお薬を届けて一人でも多くの命に貢献できればと考え、このアイディアに賛同してくれた大学院の学友らと2015年にNPO法人AfriMedico(アフリメディコ)を立ち上げました。

多くの人を救うためには、データとエビデンスが必要

会社ではなく、NPO法人にしたのはなぜですか?

NPOの方が課題解決にコミットできると思ったからです。私が本当にやりたいことは、アフリカの医療課題をこのモデルで解決することです。株式会社にすると、株主への還元・利益の追求を念頭に置かなければならず、私の目的にそぐわないと考えました。

現在はどの国で活動をされているのでしょうか?またメンバーは何名いらっしゃるのですか?

ニジェール共和国は情勢の悪化に伴いボランティアが撤退したため、現在は比較的情勢の安定しているタンザニアを活動拠点にしています。所属メンバーは日本では日本人が40名。現地では、タンザニア人が14名います。メンバーのバックグラウンドもさまざまですが、薬剤師は7名、薬学生は2名います。いつも支えてくれるメンバーがいるから、私も頑張ろう!と思える素敵な仲間たちです。

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タンザニアでは何世帯に置き薬は行き届いているのでしょうか? 

現在は200世帯ほどです。世帯数を広げようと思えば広げられるような状況なのですが、置き薬がセルフメディケーションに有効かどうか?というのを現在検証している段階です。置き薬を置いた群と置いていない群を比較して研究をしています。「研究をスキップして、事業を進めて広めていくことのほうが重要ではないか?」というメンバーの意見もあったのですが、私は、普及のためには客観的なデータが必要だと考え、反対を押し切り研究をスタートさせました。
このモデルが有用だというエビデンスをつくることを優先しないと、事業として中長期的に普及していかないこと、また何より自分の実施しているこの事業に自信が持てないという思いがあったからです。データが貯まるまでは、後二年ほどかかります。それまでは世帯数を限定的にして広げないでおこうと考えています。

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一過性のもので終わらせず、継続的な仕組みにするために定量的なデータやエビデンスが必要だということですね。

はい。その通りです。活動を始めた当初は、とにかく普及させようと焦っていましたが、医療の分野ではエビデンスにもとづいて一歩ずつ着実に浸透させることも重要です。置き薬の効果を研究として検証することは一見遠回りのように感じるかもしれませんが、命に関わることだからこそ、定量的なデータやエビデンスが重要です。ましてや、置き薬は日本で発症した300年も前のものです。そんな昔のものを現代のアフリカでやることに、本当に有用性はあるのか?と言う疑いの目に応えるためにもデータは不可欠なのです。

今後の目標を教えてください

アフリカにはまだ配置薬というカテゴリすらありません。研究結果が出たらタンザニア政府と交渉をして、政策として国内に広めてもらえるよう働きかけていく予定です。さらにはタンザニアだけでなく、アフリカ全土の医療支援が必要な地域へ薬を届けられる体制を整備していきたいと考えています。この活動は、マザーテレサの家から始まった私の人生を賭けたプロジェクト。ロードマップでいうとまだ二割ほどしか達成されていませんが、一日でも早く薬の行き届かない地域へ薬を届けられるようこれからも頑張っていきたいと思います。

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薬剤師コラム編集部

「m3.com」薬剤師コラム編集部です。
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