宗教的意味から医学的意味へ~言葉の歴史から紐解くプラセボの姿|第1回

身の回りで起こる出来事は多様であるが、僕たちはそのいくつかに関心を持ち、時に「なぜ起きたのだろうか?」と理由を知りたくなる。とりわけ不可思議な出来事であるほど、その原因に対する興味は高まっていくことだろう。僕らが不安を感じるのは、出来事の異様さと言うよりはむしろ、理由の不在なのだから。例えば、誰もいないはずの押し入れの中から奇妙な物音が聞こえた時に覚える不安や恐怖は、音が立つ理由の無さから生じている。
「薬が効いた」という出来事にも、いくつかの理由がある。むろん、薬が有する薬理学的な作用もその理由の一つであろう。NSAIDsやプロトンポンプ阻害薬が効くことは、プロスタグランジンの生成やプロトンポンプが阻害されることによって説明できる。しかし、薬が効いた理由は薬理学的な作用だけ表現しつくせるものなのだろうか。
一般的に出来事の成立は、僕らが考えているよりもはるかに複雑な因果の連鎖である。ベンゾジアゼピン系薬剤が転倒のリスクになると言っても、それはあくまでも潜在的なリスクにすぎない。実際…