宗教的意味から医学的意味へ~言葉の歴史から紐解くプラセボの姿|第1回
身の回りで起こる出来事は多様であるが、僕たちはそのいくつかに関心を持ち、時に「なぜ起きたのだろうか?」と理由を知りたくなる。とりわけ不可思議な出来事であるほど、その原因に対する興味は高まっていくことだろう。僕らが不安を感じるのは、出来事の異様さと言うよりはむしろ、理由の不在なのだから。例えば、誰もいないはずの押し入れの中から奇妙な物音が聞こえた時に覚える不安や恐怖は、音が立つ理由の無さから生じている。
「薬が効いた」という出来事にも、いくつかの理由がある。むろん、薬が有する薬理学的な作用もその理由の一つであろう。NSAIDsやプロトンポンプ阻害薬が効くことは、プロスタグランジンの生成やプロトンポンプが阻害されることによって説明できる。しかし、薬が効いた理由は薬理学的な作用だけ表現しつくせるものなのだろうか。
一般的に出来事の成立は、僕らが考えているよりもはるかに複雑な因果の連鎖である。ベンゾジアゼピン系薬剤が転倒のリスクになると言っても、それはあくまでも潜在的なリスクにすぎない。実際には患者の年齢、身体機能、認知機能、他の併用薬や併存疾患、生活環境、飲酒状況、あるいは偶然の影響など、様々な原因が複雑に影響し合って転倒が引き起こされている。ベンゾジアゼピン系薬剤はこれら原因のうちの一つに過ぎないかもしれないし、そうでないかもしれない。少なくとも薬の効果は、薬理学的な作用だけでなく、人の生活に関連したいくつかの原因によってもたらされている。本連載のテーマである「プラセボ効果」もまた、薬の効果を形作る数々の原因の一つであるかもしれないし、そうでないかもしれない。
プラセボという言葉の歴史をたどる
言語の多くは時代とともに意味を変え、時にまるで異なった概念を示すようになる。例えば「prestigious」という英単語は、「名声のある〜」いったポジティブな意味合いを帯びている形容詞である。しかし、元々は「目をくらませる」のような欺瞞的な意味を有していた1)。
時代や社会背景によって意味が変化していくことは言葉や言語体系の大きな特徴である。ゆえに語源をたどることは、その言葉をめぐる社会背景の歴史を垣間見ることに近しい。プラセボという言葉についても、語源を紐解くことで現代医学の常識にとらわれない思考のフレームワークを生み出してくれるかもしれない。僕たちはまず、このプラセボという言葉の歴史から見ていくことにしよう。
プラセボはラテン語の「placeo」に由来しており、その意味は 「I please」、つまり「私は喜ばせる」である2)。いわゆる「偽薬」といった意味は全く含まれていないのだ。この「placeo」の意味は、4世紀の中頃に聖ヒエロニムス(347頃~420年;キリスト教の聖職者・神学者)が、ヘブライ語で書かれた聖書をラテン語に訳す際に誤って記したことに端を発する。聖書の詩篇116篇9行目の冒頭、「私は主の前を歩く」というヘブライ語を、ヒエロニムスは「私は主を喜ばせる」と訳してしまったのだ。
13世紀には、この詩が死者のための祈りに用いられていた。しかし、牧師や修道士達が見返りとして金銭を要求し、亡くなった人の親族を悩ませたとも伝えられており、14世紀以降になると、プラセボと言う言葉には「こびへつらう」などの意味も含まれるようになっていく。14世紀にイングランドの詩人、ジェフリー・チョーサー(1343頃〜1400年)によって書かれた「カンタベリー物語」には、「お世辞を言う者は悪魔の聖職者であり、いつもプラセボを歌っている」という記載を見つけることができるという2)3)。
宗教的意味から医学的意味への移り変わり
時代は飛んで、1785年。ジョージ・マザービー(1731~1793年)による「新医学辞典」第2版にプラセボという言葉が登場する。この書籍でプラセボは「a common place method or medicine」すなわち「ありふれた方法または薬」 と定義されている2)3)。ジョージ・マザービーの定義は、プラセボの現代医学的な意味も、私は喜ばせるというような伝統的な意味からの派生も示唆しておらず、プラセボがなぜこのような意味を持つようになったのか、その経緯は不明である。精神科医でプラセボの著名な歴史家でもあるアーサー・シャピロ(1923~1995年)は、こうした意味の変化に戸惑いを表明し、「1785年にプラセボという言葉が医学に導入された理由はほとんどわかっていない」と結論している4)。
現代医学におけるプラセボの意味に近しい定義の登場は1811年に刊行された「フーパー医学辞典(Hooper's medical dictionary)」まで待たねばならない2)。 同書でプラセボは、患者に対する恩恵をもたらす薬というよりは、患者を喜ばせるための薬という意味で使われている。つまり、薬の使用者に、あたかも薬に効果があるように声かけを行い、それが効果的だと思い込ませる、というような意味合いが付与されているのだ。
プラセボという言葉の宗教的意味から医学的意味への移り変わりにおいて、ウィリアムカレン(1710~1790年)の存在は重要である3)5)。カレンは18世紀当時、最も権威があり影響力の強い医学教育者の一人で、エジンバラ大学で化学や医学を教えていた。カレンは、1772年に行われた一連の講義でプラセボという用語を少なくとも2回使用したと言われている。彼によるプラセボの概念は、以下の2つのテーゼによって支えられている3)。
――プラセボ治療とは、処方されている化合物の実際の生理的作用よりも、医師の治療意図の欠如によって定義されるものである
――プラセボを処方するとき、医師は問題となる疾患に対して、そして患者の一般的な体質と協調して作用する傾向がある活性化合物を低用量で選択する必要がある。
この2つのテーゼから想像されるのは、医師が患者の根本的な疾病の治癒を目指したのではなく、患者を喜ばせて落ち着かせるために弱い生理活性物質を調剤し、「この薬は効きますよ」と声掛けしながら、あたかも効果があるように装うといった風景ではなかろうか。プラセボとは偽薬そのもののことではなく、その偽薬を使う人の振る舞いの仕方なのだともいえよう。
現代医学におけるプラセボへの関心
プラセボ効果に対する現代の関心は、第二次世界大戦後にプラセボ対照ランダム化比較試験が、薬の効果検証に広く採用されたことに端を発している。1955年、ハーバード大学医学部のプラセボ研究者であったヘンリー・ビーチャー(1904~1976年)は、約35%の患者がプラセボ治療に積極的に反応したと報告している6)。しかし、ビーチャーが論じたプラセボ効果は、純粋なプラセボ反応と、プラセボ以外の社会心理的な原因等によって観察される見かけ上の効果との区別ができておらず、プラセボ効果を過大に評価していたとも言われている7)。
冒頭に述べたように、効果を形作る原因は必ずしも一つではない。プラセボがもたらす効果というものも、純粋なプラセボ薬の直接的な効果だけで評価するのか、それとも社会心理的な原因による影響まで含めた効果とするのでは、その大きさが異なるだろう。そもそも純粋なプラセボ効果とはどう定義づけられるものなのだろうか。次回は現代医学がプラセボをどう定義づけ、そしてどう扱ってきたのかについて見ていくことにしよう。
出来事の成立は、僕らが考えているよりもはるかに複雑な因果の連鎖である。それゆえ、薬がもたらす効果の原因を薬理学的な作用機序だけで説明することは難しい。プラセボ効果もまた、薬の効果を形作る一つの要素であるかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、プラセボという言葉の語源をたどることで垣間見えてきたのは、その意味するところが偽薬そのもののことではなく、偽薬を使う人の振る舞いの仕方であった。
【参考文献】
1) Weblio 英和辞書: prestige の意味・使い方・読み方
2) BMJ. 1999 Mar 13;318(7185):716. PMID: 10074020
3) J R Soc Med. 2008 Feb; 101(2): 89‒92. PMID: 18299629
4) Psychiatr Q. 1968;42(4):653-95. PMID: 4891851
5) Med Hist. 1987 Apr;31(2):123-42. PMID: 3550326
6) J Am Med Assoc. 1955 Dec 24;159(17):1602-6PMID: 13271123
7) Lancet. 2010 Feb 20;375(9715):686-95. PMID: 20171404
8) BMj. 2020 Jul 20; 370: m1668. PMID: 32690477