温故知新。「わかしおネットワーク」の取り組み
皆さん、こんにちは。この連載も5回目となり、今回を含めて残り2回となりました。前半3回は「医師」について述べ、前回の4回目では「医師から見た薬剤師」として、あくまで私の個人的な見解ながら、薬剤師の皆さんに、薬剤師を客観視してもらうことを目標に書きました。そこでは医療職の中にあって、薬剤師の独特の「患者さんとの距離感」についてお伝えしました。ともすると批判的な内容だったかもしれませんが、その向こうに「これからの薬剤師」の姿があると考えて掲載していただきました。さて、その薬剤師の未来像とは、どんなものなのでしょうか。本章ではタイトルの通り、「わかしおネットワーク」を通じて出会った、とある薬剤師さんの取り組みについてご説明したいと思います。
「わかしおネットワーク」での出会い
今から10年以上前、とある公立病院の総合診療科の医師として勤務していた私は、自身の医療技術が乏しいことには目をつぶって、介護保険制度や老々介護、介護負担感といった社会学的な視点で医療を見つめなおすことに熱心になっていました。その病院では「老人研究所」なる施設を併設しており、研究所に従事する方々に混じって、「参加自由」と書かれた多くの勉強会に参加していました。「医療は単体では提供できないサービスであり、政治学・経済学・社会学・宗教学・各国の歴史的背景などの多様な要素に立脚している」ことに興味があって医師を志した私にとっては、老人科を選択したことも、そして医療を支える制度・行政サービスに興味を持ったことも当然のことでした。
「医師不足」が社会問題となっていた当時、将来の医療政策のタネとなりうる「とある地域の成功例」を探して、各地で実験的な医療サービスが提供されていました。その1つが千葉県の東金(とうがね)病院を中心とした広域医療ネットワーク「わかしおネットワーク」でした。千葉県東部は地理的に同県西部と大きく異なり、医療過疎地域。当時は北部を旭中央病院が、中部を東金病院が、南部を亀田総合病院が中核となって地域医療を支えていましたが、少ない医師で広大な千葉県東部の医療を支えるのは困難を極めていました。そこで期待されたネットワークですが、私なりに簡単に言うと「地域丸ごと電カルでつなぐ」という感じでしょうか。東金病院での診療内容が電子カルテに記載されると、患者さんの住む地域のクリニックにも、地域の薬局にも情報が共有される。関わる医師・看護師・そして薬剤師(かかりつけ薬局の薬剤師)が相互にカルテ上でチャットしながら患者さんの情報を共有するのです。
(機能の一部を紹介します)
カルテ内容
医療機関や薬局には、ご本人の同意する範囲で情報が共有される
医師
今日の検査で、HbA1cが悪化していたので、糖尿病治療薬の〇〇を増量
次回、血液検査でフォロー予定
薬剤師
本日の検査結果に応じて〇〇増量(薬局では検査結果の画面も閲覧可能)
→来店時に患者さんに説明を行う
薬剤師からの説明
薬剤師
(患者さんが薬局に到着するころには調剤を既に終えている)
(薬局のパソコンでカルテ内容を閲覧しながら、カルテ内容を参考に処方内容を説明)
患者A
薬剤師
(患者宅に行って残薬を確認したり、病院から自宅へ直行した患者に薬を届けることも多い)
「わかしおネットワーク」では、地域の医療機関の連携がスムーズで、患者さんの情報もシームレスに管理。さらに、無料で薬の配達サービスも行っていました。
私が病院に行って処方箋をもらうと、いつも同じ調剤薬局に行くことにしています。遅くまで営業していて、当日、希望の剤型やmg数の錠剤がない場合には、後日 自宅に郵送してくれるからです。しかも無料です。調剤薬局が乱立する現代なら、他の薬局との差別化のために「処方薬の宅配」も当たり前かもしれません。しかし今から10年以上も前に時代を同様のサービスを、組織的に、地域全体で展開していたのは驚異的なことです。中心となった 東金病院院長だった平井 愛山先生のリーダーシップは私にとってお手本であり、多忙な診療のなかでも講演や若手医師の指導で全国を飛び回る平井先生に憧れていました。先生は医療者であり、教育者でもあり、そして何より地域医療の救い手でもあったわけです。
しかし同時に、少ない医師を支える地域のコメディカルの皆さんの姿も印象的で、中でも最も印象的だったのが 片貝薬局の富田薬剤師でした。この連載をお引き受けしたのも、富田薬剤師の取り組みを全国の薬剤師の皆さんに知ってほしくてお引き受けしたのが最大の理由でした。先述した<<カルテ内容>>と<<薬剤師からの説明>>は、平井先生の外来診療の様子と、平井先生の処方箋を受けた 片貝薬局の富田薬剤師による患者さんへの説明を、私の記憶から回想して書き起こしたものです。
「点ではなく、面で支える」・・・地域医療を守るのはだれか?
さて、私が「わかしおネットワーク」から得た最大の知見は何だったのでしょうか。それは、「医療の主役が医師でなくなる未来」です。事実、AIの進歩が著しい昨今、医師の業務はAIに置換される日も遠くないかもしれません。もちろん「棚から薬を取って、患者さんに渡すだけの薬剤師」も淘汰されるでしょう。しかし医師不足の地域において、体に取り付けられた電子デバイスの情報に基づいてAIが治療方針や処方薬を決定していくとき、実際に患者さんの健康を管理するのは薬剤師の皆さんかもしれません。第4回の記事「医師から見た「薬剤師」のイメージ」では、医師や看護師、リハビリの療法士と、薬剤師では、同じ医療職でも「目的語」が異なる、ということをご説明しました。医師は「患者」を目的語としているが、薬剤師は「薬」を目的語としているのかもしれない、というお話です。しかし、富田薬剤師の目的語は間違いなく薬ではなく「患者さん」だったように思います。皆さんの目的語は、「薬」ではなく、「患者さん」ですか?そのための準備はできていますか?薬学教育は、こういった変革に向けた準備を進めていますか?薬剤師が専門職としての才覚を最大限に発揮する場所は、やはり「実務」ではなく「臨床」なのではないでしょうか。そのことに気づき、実践した薬剤師こそが、「これからの薬剤師」だと思うのです。
「わかしおネットワーク」のその後
本稿の執筆に際して、「わかしおネットワーク」の現状を知るべく、アレコレと調べてみました。すると残念ながら、4年程前に「わかしおネットワーク」は、東金病院の閉院に伴って自然消滅してしまったのだそうです。ですから今となっては、「わかしおネットワーク」を直接 目にすることはできなくなってしまったわけです。現在、埼玉県では、「とねっと」と呼ばれる「わかしおネットワーク」を発展させた取り組みが始まっているそうです。千葉東部で始まった実験的な取り組みは、確実に形を変え、発展しつつ、全国に拡がっていくと期待しています。歴史を振り返れば「郵便制度」や「国鉄」など、「国や行政によって始まった革新的なモデルケース」が、未来では当たり前のサービスとして民営化され、全国規模になった例は数多くみられます。コロナウイルスの最中で何もかもが変わっていく中、この春には遠隔診療・遠隔服薬指導が閣議決定されたという報道を見たとき、時代が ようやく「わかしおネットワーク」に追いついた、と感じました。
最後に、片貝薬局 富田薬剤師からのコメントを、一部抜粋してご紹介したいと思います。
残念ながら「わかしおネットワーク」はもうありません。しかし、薬剤師に多くの教訓を与えていただきました。私は在宅医療という言葉のない時代から、薬の配達(在宅・居宅)事業をやってきましたが、お金のためではなく、患者さんがいかに満足してもらえるかを考えて、これまで約7万件のお宅を訪問してきました。先月で80歳になりましたが、今でも毎月300件以上の家庭・個別・居宅・在宅訪問で毎日100Kmを車で移動しています。しかしながら、それぞれの患者・家族・親戚の方々の100%の満足を得ることができず、まだまだ未熟さを感じています。
私が望むのは、薬剤師の方々にもっと大きな心で患者さんに接してほしいということです。薬学教育も調剤主流で心の問題を重視していないというのが残念です。そこで当薬局では法的な実務実習生とは、別に薬学・看護・福祉の学生3名グループ単位で実習を行っています。また薬学生の実務実習で不満の学生には、大学と共同しながらさらなるアドバンスな実習を行っています。「わかしお」を通してさまざまな勉強をさせていただきましたが、次は薬剤師の質の向上に努めたいと考えております。
片貝薬局 富田 勲
次号に向けて
時代とともに、医療制度も絶えず変化していく中で、遠隔診療に注目が集まっています。次回は本連載の締めくくりに、医療制度の現状と「遠隔服薬指導」について解説していきます。
次回もお楽しみに!
地域医療を守れ
「わかしおネットワークからの提案」
平井愛山・秋山美紀(岩波書店)
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