“最後の晩餐”を「薬」にしない、在宅薬剤師の奮闘
私はこれまで1万7,000回を超える在宅訪問を実施してきました。その中で多くの出会い、学びそして気付きがありました。それらの中から、いくつかを抜粋して皆さんに共有します。在宅医療に興味を持ち、在宅医療の世界に挑戦しようと思う方が現れたら嬉しく思います。
主催した勉強会がきっかけで在宅医療に触れる
「死生観」への関心から在宅医療の見学へ
私は学生時代、「MiC(ミック)」「ノンテクユニバーシティ!」と言った学生団体を立ち上げて運営してきました。また、自分でも積極的に勉強会に参加し、多いときには2ヶ月で120回以上の勉強会に参加したこともあります。
そんなある日、「死生観」をテーマにした勉強会を主催し、在宅医療に携わる2人の医師をお招きしました。もともと死生観に強い関心があった私は、お招きした先生に「キューブラ・ロスの死の受容モデル」について質問しました。キューブラ・ロスのモデルでは死に対する認知を5段階に分けて捉えており、実際の在宅患者さんはどのように死を受容していくのかを知りたかったのです。
しかし、先生は「人の死はそんな簡単にモデルで片付けられるものではない。あっちにいったり、こっちにいったりと揺れ動く複雑なものだ」とお話になりました。私はこのとき、自分が知識偏重になっているとハッとさせられました。そして、もっと深く死生観について知りたくなりました。
勉強会終了後、先生から「一度私のクリニックに来てみなさい。在宅医療の現場を見せてあげよう」と声をかけていただきました。そこで、さっそく日程を調整して、先生のクリニックを訪問させていただきました。
終末期の奥深さに魅せられ、在宅医療への道を選択
クリニックでは、その日一日の先生の業務に付き添わせていただきました。まだ学生だった自分には非常に新鮮な経験でした。本当の患者さん、本当の治療。模擬ではなく、ガチンコの医療に初めて触れた瞬間でした。先生からは多くの言葉をいただきましたが、中でも「患者さんだけじゃなく、家族のケアも大切だ」という言葉は今も大切にしている大事な教訓です。
もうひとつ印象的だったエピソードがあります。具体的な疾患名は忘れてしまいましたが、かなり具合が悪そうで寝たきりの患者さんに往診した帰り道でした。車中で先生が「あと1週間。今週末を超えられるかどうかだろうね」とおっしゃったのです。この日の私にとって一番の衝撃でした。だいぶ具合が悪いなとは感じ取っていましたが、そこまで余命が短いとはまったくわかりませんでした。このとき私は「医療を学んでいるのに、人の最期がわからない」という自分に非常にショックを受けました。そして「人の命はそう簡単にわかるものではないんだ」と思い知った瞬間でした。この出来事が私を在宅医療に強く興味を持たせ、その道を進むきっかけになりました。
ほとんどの在宅医療のゴールは「完治」ではなく「死」
在宅薬剤師として一番のやりがいは「減薬の提案」
大学6年生のとき私の周りには就職せずに起業する友人が多く、私自身も起業に憧れがあったため、進路に非常に悩みました。ただ、そんな中でもずっと自分の中で引っかかっていることがありました。それが、学生時代に見た在宅医療の現場と、そこで自分ではわからなかった「死」のことでした。学生時代に先生に見せていただいた在宅医療の現場に身を置いて生と死に向き合いたい。その思いから、在宅医療を熱心に取り組むファルメディコ株式会社ハザマ薬局への入社を決意しました。
ハザマ薬局では新卒から在宅医療に関わります。私も入社後約3ヶ月で担当患者を持ち始め、在宅医療の世界にどっぷり入り込みました。在宅医療の世界は本当にやりがいがありました。薬を配達するだけでなく、患者さんの生活を支えていくことを第一目標として、日々患者さんと関わりました。
一番やりがいを感じたのは、医師への処方提案、中でも減薬の提案です。患者さんに起こっている体調異常が薬によるものではないかを考え、防いでいくことにとてもやりがいを感じました。1つ症例を紹介します。ふらつきを訴えている80歳台の女性で、服用薬は糖尿病治療薬と降圧薬でした。医師の診断で低血糖、低血圧は否定されましたが、気にかかることがあったので私は降圧薬の中止を提案しました。服用されている降圧薬はCaブロッカーに分類されるものだったからです。これは血管の平滑筋にあるCaチャネルに作用して、血管の収縮を抑制することで血管を拡張させ血圧を下げる薬です。私はこの方がふらつきを訴え始めた頃、リハビリで立位を取る訓練を始めていたことに注目しました。「Caブロッカーが骨格筋のCaチャネルにも作用し、骨格筋の働きを弱めて、それがふらつきにつながっているのではないか」と考えたのです。それを医師に伝えたところ、「それならば一度止めてみよう」と降圧薬が中止になりました。その結果、ふらつきが消失しました。もともとの目的である血圧コントロールも問題ない範囲でコントロールされたことから、降圧薬はそのまま中止となりました。在宅医療で、その方の生活を見ていたからこそできた提案で、まさに在宅医療の醍醐味だなと感じた症例です。このような経験がほかにもあり、やりがいに満ち溢れた毎日を過ごしていました。
「患者さんの死」で終わるのが在宅医療
ハザマ薬局で数年働きましたが、在宅医療のやりがいは常にありました。しかしあるとき一つの壁というか、気づきを得ました。
最近体調が優れず、介入の回数が増えている個人宅の患者さんに対応しているときでした。私は薬剤介入でなんとかできないかと考え、ある薬剤の減量を医師に提案しました。これまでの経験的にこの提案は通るだろうと見越していましたが、医師からの返答は否でした。「その薬、本当にまだいる?死前喘鳴がみられている今、もう薬はいいんじゃないか?」と言われたとき、私は学生時代の「医療を学んでいるのに、人の最期がわからない」という衝撃が蘇りました。
服薬は中止となり、その数日後にこの患者さんは息を引き取りました。やりがいに満ちていた私の中に一つの壁。それは「人はやがて死ぬ」というものでした。医療には様々なゴールがあると思います。その中で在宅医療のゴールは何かと聞かれたら、私は「患者さんの死」と答えます。医療ドラマではよく病気が完治して「退院おめでとう!」みたいなゴールがありますが、在宅医療のゴールはその方の死です。「おめでとう」で終わらないのが在宅医療という世界なんだと、強く感じた症例でした。
在宅医療のやりがいを聞かれたら「その方の生活を支えていくこと」と答えます。一方で苦悩は「人の死はなかなかわからないし、防ぐこともできない。そしてその死に向かって進むのが在宅医療」と答えます。これこそ私が在宅医療の世界で感じた、やりがいと苦悩です。
最期の瞬間に薬は必要か
私は在宅医療のチームに薬剤師は必須だと感じています。それは私自身が薬剤師だからというのもあるかもしれませんが、1万7,000回の訪問で見えてきた事実です。
薬剤の適正化を考え、不必要または服用意義の低い薬剤は医師に減量、中止の提案をする。薬剤師は薬の効能だけでなく、作用機序から提案ができる唯一の職種です。先のふらつきの症例で、Caブロッカーの中止提案をできたのは、私が薬剤師だからです。
在宅医療を必要とされる方の多くは高齢者であり、多病による多剤併用状態にある方も少なくありません。私が薬剤師として在宅医療のチームに入るときのポリシーは「最期の晩餐を薬にしない」ことです。多剤併用で、毎日薬漬け。そんな生活を望む方なんていません。だからこそ、最期の最期まで薬に困らされてその人生を終えてしまう人を少しでも減らしていく。薬剤師が在宅医療に関わる意義はそこにあると考えています。
ただし、最期まで薬が必要な方もいます。それは医療的に必要という意味だけでなく、人生の終え方として必要なときもあるのです。末期癌で余命いくばくだが、最期の最期まで生きることを諦めない患者さんもいます。「薬物治療している」というのが戦いの根拠となり、自尊心の支えになっている方もいます。そういう方には最期まで適正な薬物治療をお届けすることを全力で遂行します。薬は最期の瞬間に「ときに不要でときに必要」です。それを患者さんと話し合い、その方が望む最期を手助けしていくのが、薬剤師の役割ではないでしょうか。